岩橋玄樹くん お誕生日に寄せて
岩橋玄樹くん、お誕生日おめでとう!
はじめまして。まゆって言います。
玄樹くんが戻ってきたときに玄樹くんへのお手紙として出そうと思って、日々メモに書き溜めていたことを、玄樹くんの誕生日ってことで節目として文章にしてみます!
完全に自己満ですし、初めてブログというものをするので自信ないですが。
岩橋玄樹くんについては、もはや説明する必要もないと思っているので言及しませんが、この子です。きゃーかわいい////
2010年の年忘れ東西歌合戦(うる覚え)で、入所したてのJr. が先輩の曲と映像を見てあれこれ言うみたいなコーナーで当時は研究生(?)だった玄樹くんを見つけてから(※その時は玄樹くんってことを知らなかったが、この子は将来化けそう!って目を付け、 のちにその子が岩橋玄樹くんだと判明するのはまた別のお話)、今日、2019年12月17日に至るまで、ずっと大好きだし、 玄樹くんは今までもこれからも私の「希望」であり「夢」 そのものです。
こちらが年忘れ東西歌合戦の時の玄樹くん。アンニュイで可愛いらしい雰囲気に一瞬で落ちました。
私は気が弱くてネガティブだし繊細でいつかの玄樹くんみたいにすぐお腹痛くなるし、(95年生まれではありますが)12月16日生まれで玄樹くんと一日違いなので、勝手に玄樹くんに共通点を感じ、昔からどこかで玄樹くんを自分と重ね合わせて見ていました。だから、玄樹くんが悩んだりしながらも少しずつアイドルとして成長して行く姿に、本当に本当に勇気をもらっていたし、玄樹くんが頑張っている姿を見ていると、 私も頑張らなきゃって思えたし、何事も頑張れました。
端っこや後ろで踊っていたのに、真ん中で踊るようになって、そして、マイクを持って歌うようにもなってきたり、雑誌にも登場したり、どんどん輝きを増していく様子は私の励みであり、その全てが愛おしく、宝物でした。
玄樹くんって、お顔も仕草も可愛いのに、中身はとても男らしくて。垣間見えるやる気だったり覚悟だったりオタクへの愛情に、何回、ずっと付いていこうと思ったことか。
玄樹くんという存在自体が癒しな存在だし、オタクたちは皆玄樹くんに癒されてるのに、その玄樹くんが!!!オタクとの交流を!!!「癒し」って言ってくれるなんて!!!!!と度肝抜かれたやつ。
売れる前から見続けていた子は玄樹くんが初めてだったので、 玄樹くんへの思い入れもすごく強かったし、デビューして国民的アイドルになって欲しいという私の夢を乗せて応援していました。途中、人気出過ぎちゃったしもう離れようかなとか拗らせて謎にオタク活動を控えたこともありましたが(笑)、King & Princeとしてデビューすることになり、 私が長年願い続けた夢がついに叶ってしまいました。こんなに嬉しいことはなかったので、私の母(私と同じく玄樹担で、 私が拗らせてた時も変わらず応援していたので母の方がきっと重ためなオタク)と抱き合って喜んでいました。
そんな矢先、休むことを決めたんだよね。
デビュー後はいつもと違う感じがしてて、どうしたんだろうって思っていたから、やっぱりなと納得している自分がいました。だから、 悲しかったけど、思った以上に冷静でいられたと記憶しています(※11月の少クラは号泣した)。
先述の通り、玄樹くんがデビューすることが私の目標だったから、 デビューしちゃったしこれからどうしようってなってた。 デビューがゴールじゃないし、 キンプリとしてまた新たにいろんな目標を立てて頑張ろうってしてたのかもしれないけど、オタクである私としては新しい大きな目標を見つけられずにもいました。
色々とたくさん考えて考えて考えた結果、よく分からないけど休養は玄樹くんにとっても、ほしてオタクにとっても、ちょうどいいタイミングだったのかもしれないって思ったし、同時に、玄樹くんがいないキンプリを見守るのが私の役目だとも思い、 今まで通りにオタ活をしようってどんと構えてる自分もいたのも確かでした。
とかカッコつけたことを言うてますけども!あの当時は、ありえないかもしれないけどもしかしてこのまま戻って来ないなんてことも…って弱気になったり、どうせ戻ってくるっしょ(言い方)って強気になったりと、とにかく感情が忙しくて気分が乱高下してました。でも、時間が経つにつれて、寂しさだったりがマイナスの感情が上回ってしまいました。当たり前にいた玄樹くんがいない生活なんて初めての体験なので、当然と言えば当然ですよね。
また、ツイッターを見てても担降りする人や離れていく人も多く、オタ/非オタ問わずいろんな人の心ない言葉や嘘か本当かわからないような噂だったりを目にするたびに悔しくて、悲しくて、つらくて。 どうしてこうなったんだろう、 ただがむしゃらに走り続けていたあの頃に戻りたいとさえ思ってしまいました。
また、私にとっても色んな辛いことが続けて起こって。今年の5〜6月、玄樹くんと同じ病気と不安障害になりかけました。 早い段階で相談したので、幸いなことに病名はつきませんでしたが、それでも毎日しんどくて、 パッと消えてしまいたくなる時が今でも日々あります。
でも、そんな私を引き止めるものは、
玄樹くんです。
玄樹くんは私より何倍もつらい思いをしているんだよね。だから私ももう少し頑張れるはずって思えるし、玄樹くんがいないからこそ、こんなお顔してる玄樹くんが見たいとか、 あんな曲歌って踊ってほしいとか、 この雑誌の表紙飾ってほしいだとか色々と妄想が膨らんで、つらい中にも楽しみを見出すことができるようになりました。
玄樹くんの成長や活躍を願ってやまなかったけど、わたしはいつも、玄樹くんに成長させられっぱなしだね。
あと、 この期間を乗り越えることができたら玄樹くんと玄樹担の絆はもっと深く強くなるだろうし、こんな経験、玄樹くん以外の担当はできないから玄樹担って特別だし、推しの休養期間を乗り越えたオタクって今後何があっても離れていかないガチな上澄みのオタクだと思うし、愛が深いオタクだとも思うから、 玄樹担である自分を誇りに思うし、同担様のことも誇りに思います。
同担拒否なんて言語道断でむしろお友達になりたいです。
これを機にツイッターフォローして下さったりしたら嬉しいです(そっと宣伝)
#ilovetiarabygenki
11月13日。久々に玄樹くんの存在を感じさせてくれました。ただの一般人の私たちからは想像ができないくらい大きなものを背負って毎日戦ってるんだよね、そんな中でも玄樹くんはこうやって玄樹担を幸せにしてくれる。
ありがとう玄樹くん。
玄樹くんはすごいよ。
玄樹くんは真のアイドルだよ。
もう、これ以上の言葉が出てこない。
深い尊敬と感謝の気持ちを
玄樹くんに送ります。
22歳の玄樹くんを見れなかったのは寂しい。
でも、23歳の玄樹くんを見れなかったとしてもそれでも構わない。ただただ、玄樹くんが、元気でいてくれたら、それだけで充分だよ。だから、早く戻ってきて欲しいだとかずっと帰りを待ってるだとか、あえて何も言いません。
どうか、玄樹くんの1年が、いや、この先もずっと、幸せと希望で満ち溢れますように。
これにて、短いですが、
玄樹くんの誕生日のお祝いとしたいと思います。
まゆより
P.S.
ぜひとも追いデレラしませんか、、?
ミリオンの夢、叶えたい。
いや、みんなで叶えてみせよう?